本を読むときに、テキストに蛍光ラインや赤線を引いてきました。

でも、引いただけで、そのまま放置されていました。

せっかく、そのときに何かを感じて引いた蛍光ライン・・・

そんな蛍光ラインたちをときどき、ここに書き写して行く事にしました。

46. 『近代日本と植民地1』p263 共著 (岩波書店)


植民地統治という行政的・領土的支配が終わったとはいえ、非西欧世界に対する政治的影響力の行使は、控えられるどころか、強められた。第二次世界大戦前のイギリスとは比較にならない規模の軍事基地網を作り出したことのひとつを見ても、「アメリカの平和」は政治的・軍事的に帝国であった。
もちろん、「アメリカの平和」では直接の領土的支配は認められない。直接統治という手段に訴えずに、現地で戦略的利益を実現するためには、現地政治エリートの操作が不可欠となる。かつてロビンソンが指摘した帝国主義における「協力者」(collaborator)のディレンマは、「アメリカの平和」につねにつきまとった。そして、植民地統治という行政的支配を否定したとはいえ、冷戦体制でも軍事力は政策の合理的手段をあると考えられ、地域紛争への軍事干渉は繰り返された。その構図はベトナム戦争敗北を受けたキッシンジャー外交のもとでいったん組み替えられる。しかし、レーガン=ブッシュ政権が地域紛争への干渉を繰り返す中で揺り戻しが起こり、周辺部における軍事的勝利が帝国の信用を支えるという構図が湾岸戦争によって復活する。経済的に「帝国主義」と呼べるかどうかをさておくとすれば、「アメリカの平和」は際立って古風な軍事帝国に他ならなかった。

第二次世界大戦による敗戦まで続いていた日本の帝国主義と植民地経営について、学者たちにより書かれた本でもある。しかし、引用した部分は、アメリカの戦後の世界統治に関しての一文になってしまった。なんと、戦後の日本の状況にぴったりと当てはまるではないか。(ちょっと、しらじらしかったかな)膨大な軍事負担に喘ぐアメリカは、すでに満身創痍である。しかし、内部から崩壊して、息絶える前に植民地の生き血を求めるだろう。つくづく、やっかいな時代だ。


投稿日:2012-11-20