本を読むときに、テキストに蛍光ラインや赤線を引いてきました。

でも、引いただけで、そのまま放置されていました。

せっかく、そのときに何かを感じて引いた蛍光ライン・・・

そんな蛍光ラインたちをときどき、ここに書き写して行く事にしました。

21. 『iCon Steve Jobs -偶像復活-』 p401 ジェフリー・S・ヤング、ウィリアム・L・サイモン (東洋経済新聞社)

アップルに戻ったスティーブは、ハイテクの伝道活動や組織といった基本的なことがらを理解していた。ポイントは、会社ができたころから続く状態、すなわち横の連絡がなく、互いに争う群雄割拠という状態を脱し、マーケティングから販売、製造、財務まで全社一丸となって動けるようにすることだ。広告代理店も、ジョン・スカリーが契約したBBDO社を切り、あの有名な「1984」を制作したチアド・デイ社にもどす。また、ディベロッパーとの関係を重視し、各社に担当者をひとりずつ割りあて、さらにきめ細かい対応にあたらせた。ウィンドウズ陣営へのディベロッパーの流出を止められるかどうかが、マッキントッシュの将来を左右するとわかっていたのだ。
スティーブの強みは、徹底した業務管理だった。ハイスクール時代のハルテクでのアルバイトから、アップルIIの部品購入、そしてMacと、強迫的なほど細かい点に注意を払ってきた。デザインやソフトウェアユーザインターフェースの細かい点だけでなく、製造効率についてもそうだった。そのため、アップルの美的側面を刷新すると同時に、製造や在庫についても改革をすすめた。

ジョブスも、ゲイツも、かなり細かいことまで、指示するマイクロマネジメントであったことは、一般にはあまり知られていないだろう。しかし、ジョブス本、ゲイツ本を読めば、そのあたりの記述が必ずあり、二人とも、なんでそこまでというほど、かなり細かい。私の予想では、常にそんなに細かいことを把握していたとは思えない。ポイント、ポイントでわざと指摘して、そういう印象(レジェンド)を社内に流布させたのだと思う。レジエンドとはそんなもんでしょう、実際は。

私は学校を卒業して、日本で一番パソコンを売っていた企業グループに入社し、IT業界に入った。研修を終え、子会社から本社の研究所に派遣されプログラマーになった。職場には、なぜかMacintoshがあって、先輩達はこっちの方がPC9Xよりも、全然いいと公言していた。上司も嫌みは言ったが、購入を禁止しなかった。ある意味、その当時の会社は余裕があったし、技術的な探究心を認める懐の深さがあった。それが好循環していた時代だった。88年、自分も中古のMac Plusを購入し、それ以来、隠れアップルファン、隠れジョブスファンとなった。しかし、当時すでにジョブスはアップルを去っており、Nextコンピュータを設立して、ワークステーションというパソコンよりも上のクラスのコンピュータを開発販売していた。そのときに、開発したOSであるNextStepは今のMac OS Xの元になっている。ちなみに、その中核は、FreeBSDのDarwinという。

投稿日:2012-10-05