本を読むときに、テキストに蛍光ラインや赤線を引いてきました。

でも、引いただけで、そのまま放置されていました。

せっかく、そのときに何かを感じて引いた蛍光ライン・・・

そんな蛍光ラインたちをときどき、ここに書き写して行く事にしました。

40. 『闘うプログラマー ビル・ゲイツの野望を担った男達』p44 G・パスカル・ザカリー(日経BP)

ゲイツの行動はすべてビジネスだ。自分では5年前から一行もコードを書いていなかったが、マイクロソフトのコードはすべてチェックしてきた。このチェックは裁判に似ている。ゲイツは検察官になる。最初は簡単な質問をするが、そのうち、こうした質問に答えるために給料を取っている君たちより、自分の方が技術的な問題をよく理解しているではないかと言い、エンジニアを締めつけることがある。エンジニアが自己弁護しても、ときには金切り声をあげても、気にしなかった。自分も同じことをするまでだ。コードのチェックにあたっては、だれに対しても遠慮会釈がなくなる。「こんなばかばかしいコードを見たことがない」と一喝して、延々と攻撃することが多い。
批判は厳しいが、プログラマーを尊敬していて、どのプロジェクトでも、プログラマーを責任者にし、管理とプログラミングの両方をまかせる。両方をまかされるプログラマーにはストレスがたまるが、プログラミング経験がないか、あっても時代遅れの知識しかない管理専門の人間には、指揮をとらせたくなかった。経営管理のプロにソフトウェア・チームやソフトウェア会社の管理を任せると、悲惨な結果になる。有望なソフトウェアとクズを見極めることも、スケジュールや製品設計を評価することもできない。プロが経営する企業では、管理者はたいてい、プログラマーを理解も支配もできず、現場の人間への不信感をつのらせてることになる。

一般的には、1995年のWindows95のリリースが、マクロソフトが巨大企業へ導いたとされているが、私は、MS-DOSの拡張版のWindows95よりも、WindowsNTというOSをマイクロソフトが作り上げたことの方が、マクロソフト的には重要な出来事だったと思う。この本は、マイクロソフトの社運を賭けた次世代OS(WindowsNT)の開発物語であり、そのためにDECから引き抜いたディビット・カトラーと彼のチームの闘いの記録である。

カトラーはIBMキラーと言われたDECのVAX用OS VMSを開発し、DEC内で高く評価された。しかし、その傲慢な性格のため、DEC内では浮いた存在となってしまう。MS-DOSのままでは将来は必ず行き詰まると考えていたビル・ゲイツは、次世代OSの独自開発を進めていて、その責任者として、カトラーをヘッドハンティングしてきた。次世代OSの名前、Windows New Technology = WNTは、カトラーがDEC時代に開発したVMSを一文字スライドさせたものだ。(2001年宇宙の旅のコンピュータHALがIBMを一文字スライドさせたのと同じ)

プログラマーならば、誰でもプロジェクト遂行の困難さ、大変さを身にしみて知っているので、新しいOSの開発がいかにビックプロジェクトで困難を極める仕事かを本書を読んで共感できる。すぐに登場人物に感情移入して、面白く読める。プログラマーじゃないひとでも、何か組織で協力して作り上げた経験のあるひとなら、その人間ドラマを楽しめるだろう。

さて、中心人物のカトラーはやっぱり紳士とはほど遠い存在である。すぐに怒るし、無理強いはするし、能力の低い部下には冷たい人間である。しかし、自分(達)のOSを作り上げるんだ、世間に残る仕事をするんだという意志は強い。平和主義だけでは、偉大なOSは作れない。闘える人間だけが偉大な仕事を成し遂げるのだ。

発売デュー当時、1週間に一度リブートしなければ動作が不安定になったWindowsNTのことは随分バカにしたけど、本書を読むと、WindowsNTの開発は確かに凄い仕事だったと思う。この開発のおかげで、サーバにもマイクロソフトのOSが使われるようになり、クライアントサイドもWin95からWin2000,XPへと上手くステップアップさせることが出来たのだから、マイクロソフトへの功績は計り知れないだろう。


投稿日:2012-10-29